ヒトの体細胞がすべて新しくなるまでに要する期間は、7年間というデータが出ています。

数値化や実験を通じて、曖昧だった領域に規則性が確認されれば、事実として誰もが踏み出せる道となります。

一方で不可知、知ることのできない事象は、たとえば己の死、あるいは他者が現在進行形で生きている世界の知覚内容などでしょう。そういう物事は哲学や宗教の領域で扱われてきました。

ニーチェが、晩年、イタリア旅行中に思考に異常を来して、歴史上の偉人たちと自己を同一視する内容の書簡を友人に送ったことは、彼の数々の労作が非常な緊張状態の上に築き上げられていたことの証左になっているようです。

至高体験、いわゆるゾーンを、自ら意図することにより、いつまでもなんどでも繰り返していけると、永遠回帰を発明したのはニーチェでした。

時間の体験は、人間ひとりひとりで異なるし、生物種それぞれに固有のものであることは確認されています。時の輪(リング)を作るのは、ニーチェには可能なことだったのかもしれません。

ただし、絶対に確実なのは同じ時間など巡ってはこないこと。日課や週単位の生活パターンを習慣化しているとしても、素のままの生活感は機械的繰り返しへの閉じ籠もりを許しはしません。降る日もあれば、曇る日もある。街路樹は色濃さを増してゆくし、髪の毛だって伸びる。

ニーチェがイタリアで瓦解したのは、偶然ではなかったかもしれません。

内陸国である(海に面する場所も少し)プロイセンでは、料理や食事に使うのは岩塩です。これは海水から作る塩と違い含まれる情報が生命誕生以前のパンゲア大陸のものという説があります。つまり、体内で生命情報のアップデートを駆動するエネルギー源である塩に、そのデータが含まれていない。脳はその空白を埋めることかなわず、完全に分離したリアリティーを意識内に作り出してしまう。独語の数字の音で、0は単なる否定ですらなく、ふたつの膠着状態のあいだを行き来する状態を表しています。

そこへ、いきなりすべての生命の源である海塩をイタリアで摂ったとしたら。ただの読書記憶に過ぎなかった偉人たちがいきなり生き生きと脳内で活動し始めたのではないでしょうか?そう考えれば発狂ではなかったといえる。ニーチェが馬に頬ずりしたのは、人間以外の動物とのコネクションを復活できた喜びの現れだったのでしょう。

翻って私の体験です。戦後、GHQの主導による専売公社化とイオン交換膜による洗浄処理により、食塩が遊離電子のないNaClとなりました(人工的なにがりを足して)。

幼い私の時は、そこで止まりました。

それ以来、幼心に感じる郷愁(=サウダージ)の凄まじさときたら!

「帰りたいのに帰れない、そこにあるのに」まるで、永遠に故郷から切り離された流浪の民のように、生まれ育った父祖の地に暮らしながら、感覚の中をさまよい続けた有り得ない程長い年月。

世界中の放浪者たちの想いを拾い集める日々でした。ジプシーや環太平洋人種、エチオピアに消えたランボー、果ては新大陸ホーボーまで。一体なにが物足りないのだろう?と。

本来のお塩のあった頃に確実だったはずの物事が、虚しく消え去ったのちに架空取引として現れて再度生活となる。以前出来たことが同じように出来ない。

足掻いた末に、生きたお塩と再び出会ってひと息。その当時感じ続けていた焼け付くような郷愁の原因がはっきりしたのです。

近頃では注意深く探せば、脱電を受けない、自然のままの海の塩が手に入ります。

おすすめしているのは、世界最古の植物ストロマトライトが生存するオーストラリア、シャークベイの海水を、2年6ヶ月間天日干しにした「ちきゅうの雫」です。天然のにがりは、天日干しを経て3%まで含有量を下げてあります。これが人体にとって自然な比率です。

記憶から心臓の駆動まで、自然な塩がエネルギー源です。海のお魚と違い、人体は塩分濃度の超過は平気です。必要なだけ摂っていただけます。

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